1970年5月、サッカーワールドカップメキシコ大会が開催され、プーマキングを着用したペレが大活躍しチームを優勝へと導きます。プーマキングの素材には、初めてカンガルーレザーが使われ、柔軟性と快適さだけでなく軽量化を実現しました。ワールドカップでテレビ放送を見た人達は、プーマのシンボルでもあるフォームストライプを目にします。 1971年、日本でリーベルマン・ウェルシュリーと販売代理店契約を結びました。 1972年、ミュンヘンで行われた夏季のスポーツの祭典でプーマアスリートであるメアリー・ピーターズをはじめとする選手が金メダルを獲得します。 1973年、ウォルト・クライド・フレイジャーがバスケットボール会で大躍進を遂げ、彼のあだ名が入ったクライドモデルが誕生しました。 1974年、アルミン・ダスラーがプーマドイツのトップとなり、同年10月にはルドルフ・ダスラーが亡くなります。この年ドイツで行われたW杯にて、プーマキングを履いたヨハン・クライフが大会MVPに選ばれました。 1976年、S.P.A.ハイヒールソールの開発をします。1977年、ギレルモ・ビラスがプーマのシューズを履いて全仏、全米、全豪オープンを制覇しました。テニス界でも、プーマはサプライヤーとしてトップアスリートを支えます。 1978年6月、W杯アルゼンチン大会が開催され、マリオ・ケンペスがプーマのスパイクを履いて大会得点王を獲得しました。 1985年にはウィンブルドン選手権が開催され、プーマのミッドトップシューズとラケットを使用したボリス・ベッカーが初優勝します。 1986年プーマはフランクフルト証券取引所に上場、株式を公開し、プーマAG(株式会社)となりました。 1990年10月 、アルミン・ダスラーが亡くなります。1991年、世界初の靴紐がなく、内部にあるワイヤーで足の甲に完璧なフィット感を与える「ディスクシステム」を発表しました。 1993年、ヨッヘン・ザイツがCEOに指名され、プーマ再建に尽力します。ドイツ史上最年少のCEOでもありました。ザイツは、低価格ブランドだったプーマをプレミアムスポーツライフスタイル企業へ変貌させ、スポーツ製品産業のトップ3の企業とすることに成功しました。 1994年、セル(CELL)を発表、1996年、プーマはロゴを使ったユニークなコンタクトレンズを使い、プロモーション活動を行います。 1998年、スポーツブランド初、ジルサンダーとコラボレーションを発表し、人気のファッションスニーカーになりました。 1999年、プーマはモストロを発表します。モストロは、マドンナ達を始めとしたファッションリーダーの間で愛されるようになりました。
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