破産からの立て直し

1933年に破産したサルバトーレフェラガモは、工場を閉鎖された2日後に、以前靴を買ってくれていた夫人に靴を買ってもらえるように直談判に行きます。 そして、貴族階級の夫人の友達にまたその友達へと口利きしてもらうというやり方で着実に注文を伸ばしていくのでした。こうして数年のうちにみるみる事業は回復し、国内の販売はうなぎのぼり、2年後には輸出も再開します。 1938年、軽量で安定したコルクを使ったウエッジソールを発明し、前年340万リラでスピーニ・フェローニ宮殿を購入し、この建物の中にフィレンツェ本店を開店します。また、ロンドンとローマにもそれぞれサロンをオープンしました。1939年頃には、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなどの先進国で売られるようになります。

セレブを魅了するフェラガモの靴

サルバトーレフェラガモはハリウッドでお店を構えていた頃から世界のセレブを魅了していました。イタリアのエレナ王妃など上流階級の人達はほぼサルバトーレフェラガモの顧客となっていました。 その理由はフィッティングにあり、足に完璧にあっていた靴は、足を癒やすだけでなく、精神的な安定や、骨格の歪みを治すなどのメリットがありました。 1942年、第二次世界大戦中、サルバトーレフェラガモは新しい素材のセロファンやコルクを積極的に試し、ウエッジサンダルなど様々な新しいシューズを創り出します。 1947年、ファッション界のオスカーとも呼ばれる「ニーマン・マーカス賞」を受賞し、1948年ニューヨークの5番街にニューヨーク初となるブティックをオープンします。翌年サルバトーレフェラガモは自らの荷物を持ち歩くため、初めてのバック制作を行いました。 1950年、従業員700人、一日に350足の靴を手作り出来るようになり、60%の作業は手作業、残り40%の簡単な作業を機械と分業して靴を作ります。1954年、オードリー・ヘプバーンのためにストラップのついたスエードのバレリーナシューズを創作しました。

サルヴァトーレの死後

1960年サルヴァトーレは死去し、彼の夢は妻と子供達に受け継がれます。 1965年、長女フィアンマによるバッグコレクション開始、1970年メンズシューズとメンズウェアの製造を開始、次男のレオナルドによって拡大されました。1978年、現在まで受け継がれるフェラガモの代表的なパンプス「ヴァラ」がフィアンマにより誕生します。 1998年、ルックス・オルテカとアイウェアのライセンス契約を締結し、2001年、フェラガモ・パルファム社を設立、香水事業を始め、2002年初のスニーカー「Freedom」を発表します。

ブランドの成長

2003年、ニューヨークの旗艦店を移転拡張し、世界最大規模のブティックとしてオープン、翌年メンズシューズ最高級ライン「トラメッザ」が誕生、2006年には、「RODEO DRIVE WALK OF STYLE」を受賞します。2011年、サルヴァトーレ フェラガモの本社 SALVATORE FERRAGAMO S.P.Aがイタリア証券取引所に上場します。 2016年、レディースシューズのデザイン兼ディレクターとして、ポール アンドリュー(Paul Andrew)が就任、 同年11月ギョーム・メイアン(Guillaume Meilland)がメンズ レディ・トゥ・ウェア のデザイン兼ディレクターに就任し、有名ブランドで活躍したデザイナーを迎え、ますます成長をしています。
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