ダスラー兄弟のシューズ開発

アディダス(adidas)は、ドイツ発祥のスポーツブランドです。シューズ、スポーツ用品、スポーツウェア、ファッションアイテムなど製造から販売まで幅広く展開しています。 1920年、アドルフ・ダスラー(Adolf Adi Dassler)とルドルフ(Rudolf Dassler)のダスラー兄弟は、靴製造会社を設立しました。 1924年、ダスラー兄弟は、体育館専用のシューズを開発します。兄のアドルフは、自身が陸上の選手だった経験から、それぞれのスポーツ選手にあった靴が必要であるとスポーツ専門の靴の開発を始めたそうです。 兄のアドルフは主に販売を担当し、弟のルドルフは生産を担当します。 1925年、地元の体育協会より大量に靴の注文がありブランドは軌道にのることができました。世界恐慌の煽りを受けていても、ベルリンオリンピック効果もあり再度ブランドは盛況となります。

二人の独立

戦争によって一時生産を中断しましたが、戦後まもなく生産を再開しました。しかし二人の意見はやがて合わなくなり、この商会は解消することになりました。 1948年、二人はそれぞれ独立をして、アドルフはアディダスを設立し、ルドルフはルーダ(後のプーマ)を設立しました。アドルフのニックネーム「アディ」と「ダスラー」を合わせたものがアディダスの名前の由来となります。

アディダスの躍進

1952年、西ドイツの選手全員がヘルシンキオリンピックでアディダスのシューズを履いて以来、オリンピックで圧倒的な支持と人気を集めることになりました。 1965年、テニスシューズのハイレット(これは後のスタンスミス)を発表し、人気を博します。 1970年には、オールレザーのバスケット用シューズ「スーパースター」や、クロスカントリー用の「カントリー」など多くの名作も発表しました。 1972年、アディダスの定番スニーカーハイレットを履いたスタンスミス(Stan Smith)がウィンブルドンを制覇すると、これを機にスタンスミスの顔とサインをプリントしたスタンスミスシリーズがスタートします。 FIFAやIOCなどの国際的スポーツ組織を巻き込んで、スポーツをビジネス化していきました。 1970年以降は、アドルフの息子であるホルスト・ダスラー(Horst Dassler)が経営の実権を握り、2代目の最高責任者となります。ホルストの経営戦略は見事に成功し、アディダスは売上高世界一を誇るスポーツ用品メーカーにまで上りつめました。 その後最高責任者のホルストも51歳の若さで急死し、ファミリーの間で経営権の争いが始まってしまい、アディダスは迷走を始めます。
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