歴史ある世界のトップブランドは、その歴史の長さゆえ、何度もデザイナーの交代があるものです。それはバレンシガにおいても例外ではありません。100年以上のブランドの歴史の中で、どのようなデザイナー交代があったのでしょうか。

クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)

フランスの有名ラグジュアリーブランド、バレンシアガ(BALENCIAGA)は1918年に、クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balanciaga)がスペインにて創業しました。

ニコラ・ゲスキエール(NICOLAS GHESQUIERE)

創業以来ブランドをけん引してきたクリストバル・バレンシアガですが、1995年にニコラ・ゲスキエール(NICOLAS GHESQUIERE)がライセンスデザイナーとして就任します。 その後1997年にはニコラ・ゲスキエールはクリエイティブディレクターとして、プレタポルテとアクセサリー・コレクションも担当することとなりました。 ニコラ・ゲスキエールのデビューコレクションは、ファッション界に衝撃的な印象を残すことになり、新生バレンシアガを世界中にアピールします。 ニコラ・ゲスキエールはそれまで有名であったウェアだけでなく、バレンシアガの創業以来の伝統的なスタイルを受け継ぎながら、バッグやシューズでも世間からの好評を得ました。 新生バレンシアガを世界のファッション業界にアピールしたニコラ・ゲスキエールは、2000年10月のVHI・ヴォーグファッション・アワードにおいて「アバンギャルド・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」、翌年2001年にはCFDAの国際賞と「ウーマンズ・ウェア・オブ・ザ・イヤー」を受賞します。 2005年には、モンクレール(Moncler)とコラボレーションしたアシンメトリーなデザインのジッパーや、ミリタリー系の紋章などが施されたカジュアルなダウンジャケットを披露しました。 2009年、ニコラ・ゲスキエールによって初のフレグランスとなる「バレンシアガ・パリ」を発表します。 さらに2011年にフレグランス2作目となる「バレンシアガ・パリ・レッソンス」を、3作目の「フローラボタニカ」を2013年に発表して展開していきました。 17年間にわたりバレンシアガをけん引してきたニコラ・ゲスキエールですが、2012年11月にクリエイティブディレクターから辞任します。

アレキサンダー・ワン(ALEXANDER WANG)

そして同年12月に、アレキサンダー・ワン(ALEXANDER WANG)が後任のクリエイティブディレクターとして就任しました。 アレキサンダー・ワンは2013F/W、2014S/S、2015S/S 「OPULENCE」、2015年10月の2016S/S 「Urban Utility」の発表まで務めることとなります。 最後のコレクションでは建築家のオスカー・ニーマイヤー(OSCAR NIEMEYER)が設計した現代都市のブラジリアとその対極にある自然豊かな風土という二面性に影響を受けたものでした。

デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)

2015年、アレキサンダー・ワンの後任として、ヴェトモン(VETEMENTS)のヘッドデザイナーであったデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が新任アーティスティックディレクターの座に抜擢されます。 創業者クリストバル・バレンシアガが創り出してきたファッションの記録などを丹念に研究し、16-17A/Wウィメンズコレクションを2016年3月に発表しました。 その後2019年の9月には、自身が立ち上げたブランドであるヴェトモンを去り、バレンシアガのクリエイティブに専念すると発表。それについて彼は「ヴェトモンではファッション界の新しい扉を開くことができた。これからは次のステップに進む時だ」と語っています。
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