ブランドの拡大

ドクターマーチン(Dr.Martens)の基盤を気付いた、医師のクラウス・マルテンス(Klaus Maertens)は、二度の世界大戦を生き抜き、物のない1950年代にドクターマーチンの原型となる革靴をドイツで生み出していました。 革靴の製造に試行錯誤する中で、力を貸してくれた技術者のヘルベルト・フランク(Herbert Frank)とともに、1952年から工房を構え靴の製造・販売を行い、順調にビジネスを進めていきます。 その後事業の拡大を考えた二人は1959年に、海外貿易の情報が掲載されている雑誌に、製造を一緒に行うパートナーを募集する広告を掲載しました。それを目にしたイギリス人のビル・グリッグ(Bill Grigg)が、ドクターマーチンにつながる大きな流れを生み出すことになります。

ビル・グリッグという人物

ビル・グリッグは、1901年からイギリスで製靴業を営む家庭に生まれます。R.グリッグスは靴メーカーとして成功をおさめている企業で、1959年当時はイギリスの靴市場は競争が激しく、新たな策を練っているタイミングでした。 ビル・グリッグは、製靴業を行う仲間を集めて、ウォラストン・バルカナイズ社(Wollaston Vulcaniz)を設立し競争に対抗する策を実行していました。 そんな中で見つけたパートナーを募集の広告に、ビル・グリッグは即座に連絡を取り、交渉に入ります。クラウス・マルテンスと、ヘルベルト・フランクはイギリスに広く靴を広めたいという希望から、多数の会社との契約を考えていたため、ビル・グリッグとの契約には当初は難色を示していました。 しかし、ウォラストン・バルカナイズ社の21社もの製靴業者との取引関係を知り、二人は1年間のエアクッションソールの製造権を認めたのです。この与えられた1年で、ウォラストン・バルカナイズ社は成果を上げることに成功し、エアクッションソールはR.グリッグスに権利を譲渡されることになりました。

新たな製靴法

エアクッションソールはその後改良を重ね、柔軟性や耐久性など多くのポイントをクリアした素材が完成します。 それまでひび割れなどの理由で、難易度の高かったグッドイヤーウェルトと呼ばれる技法にも、エアクッションソールはうまくフィットし、これまでにない新たな靴製法として、業界に大きな影響を与えることになりました。

「Dr.Martens」の誕生

1960年の4月1日には、8アイレットブーツが初めての生産ルートに乗ります。労働者のために履き心地を重視し、改良を重ねて生み出されたこのブーツには、イギリス風にネーミングされることになりました。この時に名付けられたブランド名が「Dr.Martens(ドクターマーチン)」です。 エアクッションソールは、ビル・グリッグによって「AirWair」と名付けられ、「弾む履き心地のソール」をキャッチフレーズに、発売されました。 また、この時製造された8アイレットブーツが、ドクターマーチンの代表作になる「1460」です。「1460」という商品コード名は、製造がスタートした、1960年4月1日にちなんだネーミングになっています。
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