世界最高峰の靴

ジョンロブなどと並んで世界最高峰の靴と称される名門ブランド、エドワードグリーンが産声をあげたのは1890年のこと。 今やイギリスのシューズメーカーの聖地と言われるノーザンプトンにある工場で、3人の息子たちと共に紳士用の靴を作るようになったのが、その始まりでした。 当初はミリタリーブーツをハンドメイドで作っていたようです。 「できる限りの上質を求める」というポリシーのもと、ひたすらに製作に打ち込むうちに、その類稀な履き心地の良さが評価され、「英国でも稀代の才能ある職人」という名声を獲得するようになります。

倒産の危機

ところが1950年代以降は、乱立していたシューズメーカーが次々と淘汰されていくようになり、エドワードグリーンもその波に飲まれていきました。 1979年には、創業者の息子たちによってアメリカ企業に売却されてしまい、その結果、倒産寸前まで追い込まれることになってしまったのです。 そんなエドワードグリーンの危機を救ったのは、イタリアでシューズデザイナーをしていたジョン・フルスティックという人物でした。 彼は、同社が抱えていた負債額にたった1ポンドを上乗せして買収することで、エドワードグリーンの再建に取りかかりました。まさに彼こそが、現代のエドワードグリーンの基盤を築き上げたその人だったのです。 その後も、変わらぬポリシーでクオリティーを追求し続け、徹底的に履き心地にこだわった木型の製作にも心血を注ぎました。 また、ラルフローレンやブルックスブラザーズなど有名ブランドの靴のOEM生産(委託生産)を請け負うなどしてV字回復を果たし、再び高い評価を獲得するまでになったのです。

エルメスによる買収

1995年には、エルメスがライセンス権を持っていたジョンロブの靴の生産をも請け負うようになったのですが、その際に、エドワードグリーンの技術力の高さに目を付けたエルメスが、買収の話を持ちかけました。 その頃ちょうどフランスへの進出を考えていたエドワードグリーンは同意をし、エルメスと手を組みます。ところがこの判断がうまくいかず、結局、自社株を全てエルメスに売却する事態に陥ってしまいました。 100年以上続いていた製靴工場が、エルメスに渡ってしまっただけでなく、シューズメーカーの命とも言えるラスト(木型)までもが押えられてしまったといいます。名作と名高かった202ラストも、例外ではなかったようです。

ブランド再建へ

しかし、形ある物は失っても、その根底にある靴作り職人のスピリットは失われていなかったのでしょう。再びのエドワードグリーン再建を目指し、新たなファクトリーを立ち上げました。 そしてそこへは、かつてエドワードグリーンを支えていた職人たちも再集結しました。あの名作ラスト「202」も新型として甦り、2004年からはトニー・ガジアーノをデザイナーに迎え本格的な復活を果たしています。 ブランド設立より120年以上、幾多の困難に直面しながらも、揺るぎない靴作りの魂を抱き続け、最高級のシューズ作りを貫いてきたエドワードグリーン。 現在でも、どの資本にも属することなく独立性を保ったまま、一足一足丹念に作られたシューズを世に送り出しています。
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