ナイキ(NIKE)の始まり

世界で最も知名度のあるスポーツブランドの1つ「ナイキ(NIKE)」。アメリカの太平洋側の北部に位置するオレゴン州で1968年に設立されました。 設立当時の社名は「ブルーリボンスポーツ」という名前で、当時スタンフォード大学の学生であったフィル・ナイト(Philip Knight)と、オレゴン大学の陸上部でコーチを行っていたビル・バウワーマン(Bill Bowerman)の2人によってスタートを切った会社です。 設立以前から、日本のスポーツシューズメーカーであるオニツカタイガーと共同でスポーツシューズの開発を行っており、設立当初もオニツカタイガーのランニング用シューズを輸入してアメリカ国内で販売していました。 さらに利益向上を目指し、オニツカタイガーとの取り引きを終了します。その際に、オニツカタイガーの技術者を引き抜き、日本のアサヒコーポレーションでトレーニングシューズを生産し、技術革新を行っていきます。

「コルテッツ」の開発

オニツカタイガーにインスパイアされ1971年に誕生した「コルテッツ」、現在に続くナイキの代表モデルです。 硬さの違う二層のミッドソール、厚いアウトソールを合わせ、足への衝撃を吸収する仕組みをビル・バウワーマンは開発しコルテッツに搭載しました。この年、ナイキの印象的なロゴである“スウォッシュ”が正式なロゴマークとなります。 その翌年の1972年には、ワッフルを焼く型をヒントにバウワーマンが開発した、ワッフルソール採用モデル「ワッフルトレーナー」を発売します。 このワッフルトレーナーのヒットによりブルーリボンスポーツ社は成長を大きく遂げました。この成功により、当時自社のブランド名として使用していたナイキを正式な会社名に変更します。 その後も、スポーツメーカーとしてスポーツ選手が快適に履くことのできるシューズの考案に尽力を尽くします。

バスケットボール界の革命

1978年には、ビニールパックの中にガスを入れたエアバッグをミッドソールに設置し衝撃を吸収する「エア」を発表し、1980年代以降のナイキのスニーカーに大きな変化をもたらしていくことになります。 バスケットボールがアメリカの大学リーグで盛り上がりを見せる1980年代、ナイキのシューズ需要は一層加速していきます。 1982年ナイキの最新技術である“エア”を搭載した「エア・フォースワン」が誕生し、バスケットボール界に大きな変革を起こしました。 1984年には、当時NBAで活躍を見せていたマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)とのコラボレーションモデルである「エア・ジョーダン1」を発売します。 このエア・ジョーダンにも“エア”を搭載しており、「ウィングロゴ」と呼ばれるロゴマークがつけられた人気モデルです。 この後も、1987年に「エア・ジョーダン2」、1988年に「エア・ジョーダン3」、1989年「エア・ジョーダン4」と立て続けにシリーズ展開を行い、人気を集め続けていきました。 エア・ジョーダンと同時期である、1985年に発売されたバスケットボール専用シューズ「ダンク」も、大学バスケットボール界のチームカラーを基調にしたカラーリングがうけ、人気シリーズへの仲間入りを果たしたシリーズです。

「エア・マックス」の誕生

ランニングシューズの分野でも1987年には、「エア・マックス」が誕生します。ナイキを代表するランニングシューズであるエア・マックスは、1990年代に続く“ハイテクスニーカー”の火付け役であり、社会現象ともなるシリーズのスタートとなりました。
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