世界恐慌の大打撃

1929年に起こった世界大恐慌により、アメリカ国民の全員が失業状態になってしまったことで、もちろんブーツの需要はなくなってしまいました。 アメリカの労働者によって支えられていたウエスコも閉鎖せざるを得ない事態へと追いやられてしまいます。 ビジネスはもちろん、貯金も家も全てのものをうしなってしまったジョン・ヘンリ・シューメイカー(John Henry shoemaker)の元に残ったものは、ブーツ・メイキングに使う道具とポーランドの東隣にあたるサンディー・リバーの小さな土地だけでした。

ブーツ作りの再開

そのわずかな期待に希望を抱き、その土地を田舎町のキャプスース全体を見下ろせる11.5エーカーの広さの土地と交換することに一大決心。その新しく手に入れた土地に、自分で家を建てて、家のベースメントにはブーツ工房を置くことにしました。 ジョン・ヘンリ・シューメイカーには妻の他に息子が二人、娘が四人の計六人もの子供がいました。ブーツ職人のプロを雇う余裕ももっぱらないため、家族や親族が力を合わせることでブーツ作りを再開させることに。 良く作れた日でも一日八足足らずではありましたが、そんな数少ないブーツを抱えて、ロッガー達が働いている現場まで直接ブーツを売りに出かけて行ったのでした。 そのように、努力を重ねていくことで、完全ではないにしても、ビジネスへの回復の兆しが見え始めます。将来にも希望が持てるようになったことで、自宅の隣に新しい工房を作るまでに。 そして、1937年にはウエスコの工房は二階建ての2400平方フィートの面積にまで広がり、現在では、19000平方フィートもの面積を誇る工場が当時建てた場所に今もあります。

復活と人気の加速

1930年代から1940年代の初期、順調に推移していたビジネスが、第一次世界大戦の勃発によりさらに加速することとなります。アメリカ西海岸のあちこちで造船要員が使用するためのエンジニア・ブーツの注文が殺到。 国内の景気も完全に回復しロッガーからのブーツの大量オーダーに対応するなど特需ともいえる現象がみられました。戦争という悲しい出来事の一方で、アメリカ国内の至る場所で、ビジネスが大幅に回復傾向に。 戦争中と変わることなく、戦後もまた目まぐるしい勢いで生産が伸びていました。そんな頃に新たなサービスが生み出されるのです。 ブーツ・リビルドと呼ばれる、愛着のある履き古しのブーツを蘇らせるというものでした。 ウエスコはファミリービジネスが壊滅しかけている今の時代、代々に渡りジョン・ヘンリ・シューメイカーのビジネス哲学を受け継ぎ経営している会社です。現在は三代目が受け継ぎ、更なる進化が期待されています。
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