「カルティエ(Cartier)」の「トリニティ(Trinity )」を検索すれば、必ずと言ってよいほどその名を目にする「ジャン・コクトー(Jean Cocteau)」。ジャン・コクトーは、1889年にフランスで生まれました。20歳とき処女作である詩集「アラディンのランプ」を発表してから74歳の生涯の幕を閉じるまで、詩、小説、戯曲、画、映画監督、脚本などを手掛けた世界的に著名な芸術家です。 その彼とカルティエのトリニティリングの関係にはいくつかの諸説があります。 1つ目は当時の恋人である「レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)」に贈るためにジャン・コクトー自らデザインし、カルティエに作らせた説です。2つ目は、レイモン・ラディゲに贈るために「この世に存在しないリングを」とジャン・コクトーがカルティエに依頼し作らせた説です。 この2つの説への疑問点は、恋人であるレイモン・ラディゲが死没したとされるのが1923年、トリニティが発表されたのが1924年という点です。ラディゲが亡くなる前にデザインしていたが作製が間に合わなかったとも考えられます。しかしジャン・コクトーが小指に2つトリニティを重ね付けし有名になった写真は、ジャン・コクトーが白髪の老人です。弔いのためだとすれば、死没後リングができ上がってすぐに身に付けるでしょう。そして何よりカルティエの公式HPに“トリニティリングは1924年、未来を見据えたルイ・カルティエの斬新なエスプリから生まれました”とあります。何らかの理由があり身に付けなかった、あるいは、身に付けていたが後世に残る資料が白髪の写真だけということも考えられます。しかし、ジャン・コクトーがトリニティのデザインや作成段階で関わっていたとするならば、カルティエが公式発表しているはずと考えるのが無難ではないか。というのが否定派の意見です。 3つ目は、ただただ、カルティエが発表したトリニティをジャン・コクトーが気に入り購入し、2つ小指に重ね付けした説。この説が1番しっくりと腑に落ち、妥当であると近年広く普及しメジャーになりつつある意見です。 なぜこんなにも有名な芸術家ジョン・コクトーと世界的なブランドカルティエの逸話にいくつもの諸説があり、確証がある真実の話がない原因はこれらの説の出所にあります。それはジャン・コクトーが小指にトリニティを2つ重ね付けしていたこと。ラディゲの没後悲しみに暮れ、アヘンに溺れたこと。この2つの事実のみからの想像と希望が作り出した、憶測でしかないからです。偉大な芸術家ジャン・コクトーと世界に認められたブランドカルティエだからこそ生まれ、語り継がれた都市伝説なのかもしれません。ただし、ジャン・コクトーがトリニティを愛し身に付けていたのは、変わりようのない事実です。
カルティエの買取についてはこちら»