世界的ラグジュアリーブランドであるジバンシィ(GIVENCHY)を創設したのは、ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)です。 ユベール・ド・ジバンシィは、1927 年にフランス北部の都市ボーヴェで生まれました。17 歳で故郷を離れ、パリに上京しました。ジャック・ファト(Jacques Fath)、ロベール・ピゲ(Robert Piguet)、リュシアン・ルロン(Lucian Lelong)などのもとで働き、1950年にはエルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)の初のアシスタントに就任、ヴァンドーム広場にあるオートクチュールブランド旗艦店のクリエイティブディレクターを任されるなど、順調にその才能を認められていきました。 1952年にユベール・ド・ジバンシィ(当時24歳)は自身のオートクチュールブランドを設立し、手始めに発表したセパレーツをはじめ、彼の発想は時代を動かすことになります。1953年には、フランスの雑誌であるELLE誌及びLIFE誌に初めて掲載され、グレース・モナコ公妃などをはじめとする世界のドレッサーが、こぞってジバンシィを着るようになります。 1953年に運命の出会いを果たしたオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)とは友情関係が40年間続き、彼の人生に大きな影響を与えました。オードリー・ヘップバーンは、「ティファニーで朝食を」などの映画のほかに、プライベートにおいてもジバンシィを愛し、ジバンシィのミューズとしての役割を果たしています。 彼女は、ピュアなラインや細いウエストに代表される、ジバンシィが作るモダンビューティが生まれるきっかけを与え、ユベール・ド・ジバンシィを支えた大きな存在となっていました。 ユベール・ド・ジバンシィは、1954年にデザイナーとして初めての試みであるラグジュアリープレタポルテコレクションを発表、1958年には初のフレグランスであるランテルディを発表し、話題を呼びました。 オードリー・ヘップバーンをフレグランスの広告に起用し、製品は大ヒットしました。アメリカに住むオートクチュール顧客の比率は、増々伸びていきました。 ユベール・ド・ジバンシィは次第に国際的知名度も上げていき、さらにはジバンシィの友人であり師でもある、著名デザイナーのクリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balanciaga)の助言により、1970年代にライセンスビジネスを開始しました。メンズネクタイや着物、1976年にはフォードの自動車など、数多くの製品を誕生させました。 1995年に、ユベール・ド・ジバンシィは引退しましたが、43年間デザイナーとして活躍し、ラグジュアリーの大衆化を実現させるなど多くの功績を残しました。
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