グッチが崩壊するまで

イタリアに多くみられる他の同族会社と同じように、グッチ(Gucchi)は創立当初はグッチ一族で発展してきた会社の一つです。しかし、現在グッチにはグッチ家の人間は一人もいません。 ブランド・グッチは一族経営から始まり、幾多の盛衰期を経て現在の地位を確立したワールドブランドですが、その背景には、一族の確執の歴史が横たわっています。 グッチの歴史は、1921年イタリアのフィレンツェにグッチオ・グッチが開いた「グッチオ・グッチ鞄店」から始まります。グッチオは、開業から二年後には二店舗目を開業させるなど順調に事業を展開させていきました。

兄弟間の確執

グッチオには6人の子供がいましたが、三男のアルドと五男のルドフォが後継者として選ばれます。保守的なグッチオと海外進出に積極的なアルドは経営方針を巡ってぶつかってきました。 しかし、アルドが父グッチオの反対を押し切る形でローマに支店を展開し、1950年からの10年間でニューヨークやパリなど着実に海外進出を果たします。 一方、ルドフォは若い頃俳優を夢見て渡米し、無一文になって帰ってきたにも拘わらず、ブランドへの貢献度が高いアルドと同じ株の50パーセントを与えられていました。 それを良く思わないアルドとの間で兄弟間の確執がありましたが、反目しあいながらも絶妙なバランスでブランドを発展させました。

孫世代のぶつかり合い

しかし、グッチオの孫世代になり、一気に歯車が狂い始めます。アルドにはジョルジョ、パオロ、ロベルトの三人息子がおり、ルドフォには一人息子のマウリチオがいました。 第二世代で息子二人に50%ずつだった株は、ルドルフォ死後の第三世代ではアルド40%、アルドの息子3人がそれぞれ3.3%、マウリチオで50%に分けられています。 アルドに反抗的なパオロは独断専行で秘密裏にPGブランド製品の売り上げを目論み、父の逆鱗に触れ、グッチから追放されてしまいます。 グッチ社長夫人を夢見てマウリチオに取り入った夫人パトリチアはこの親子喧嘩を逆手にとり、パオロと共謀してクーデターを起こしました。 マウリチオとパオロ合計53.3%の株を得て、1984年、アルドを社長の座から引きずり落とし、マウリチオを社長へ就かせます。 1985年にはアルドは反撃に出て裁判を起こし、マウリチオは一旦社長職を追放されますが、1986年パオロの告発によって脱税容疑でアルドは81歳で投獄されてしまいます。

すべての株売却

1988年、マウリチオは会長に復帰しますが、彼に経営を任せるくらいなら他人に株を売る方がましだと考えた他の三人は全ての株をアラブ資本に売却しました。 そして1993年、経営に嫌気がさしたマウリチオもアラブ資本に全ての株を売却してしまうのです。こうした醜い血族間での争いの末、グッチ創設から72年後には全てのグッチ家の人間はブランド・グッチから関わりをなくしてしまいました。 さらに、1995年には、マウリチオは別居中の婦人パトリチアの雇った殺し屋によって暗殺され幕を閉じます。
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