「装苑賞」グランプリ受賞

「ケンゾー(KENZO)」の創業者であり、ファッションデザイナーである高田賢三は、1939年に兵庫県姫路市で誕生しました。 高田賢三には姉がおり、幼少期より姉たちが習う洋裁などに興味を持っていました。高田賢三は、一旦は神戸市にある外語大学に入学しますが、ファッションへの夢を捨てきれず中退し、文化服飾学院に入学します。 当時文化服飾学院は男性の入学希望者への募集を開始したばかりでした。在学中、高田賢三は「装苑賞」という新人デザイナーに向けたコンテストでグランプリを受賞します。

一か月間の船旅

その他にも様々な賞を受賞し、注目を浴びた高田賢三は、文化服飾学院を卒業後、海外に渡りました。渡航先に選んだのはフランスで、1か月間船に乗って到着します。 1か月間の船旅の間、高田賢三はアジアやアフリカなどに立ち寄り、日本にいた頃には経験したことのない文化や人々の習慣を肌で感じ、自然の持つ美しい色合いに感銘を受けました。 この経験がその後の彼のカラフルで、西洋と日本の着物文化が融合したような独特なファッションへの原点となります。

「ジャングル・ジャップ」オープン

1965年にフランスに渡った高田賢三は、自分でデザイン画を描き、売りながら生活をしていました。その後、パリ市内のギャラリーに小さな洋服店、「ジャングル・ジャップ」を1970年にオープンさせます。 このジャングル・ジャップは、後のケンゾーブランドとなりました。ジャングル・ジャップ初の小規模なファッションショーを行った際には、フランスの有名ファッション雑誌エル(ELLE)の編集長が注目し、エルの雑誌の表紙を飾ることになります。 このことをきっかけに、高田賢三の名は瞬く間にフランスだけではなく、アメリカやもちろん東京でも知れ渡るようになりました。

ケンゾーのデビュー

1973年に高田賢三はケンゾー(KENZO)の名称でパリのプレタポルテデビューを果たします。高田賢三の活躍はフランス国内でも賞賛され、フランス政府が1984年と1998年に芸術文化勲章を授与しました。 日本のみならず、世界のファッション業界で功績を残した高田賢三ですが、1999年にデザイナーを勇退します。

引退後の活動

勇退後の高田賢三は、世界各国を巡って、芸術活動などを行っていましたが、2003年にデザイナーに復帰し、翌年に行われたアテネオリンピックの移動用ユニフォームをデザインしました。 また、2016年にはセブン&アイのプライベートブランドで高田賢三とのコラボレーションが実現します。色彩豊かで大きな花柄が印象的な高田賢三の世界は今も色あせることがありません。
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