ヨウジヤマモトのデザイナー、山本耀司は1943年、東京に生まれました。幼い頃に父親を亡くしていた彼は、オーダーメイドの洋装を営む母親一人の手で育てられました。その頃の彼は、ミシンの音とアイロンの匂いの中で懸命に働いている母親を通して、世間を見ていたと言います。やがて慶応義塾大学法学部に進学するも、周囲は裕福な家庭に育った学生ばかりで、社会に出る気を無くしてしまい、しばらくはバックパッカーをして世界中を放浪していたそうです。ところが、必死に働いて息子を大学に行かせた母親に激怒され、大学卒業後に文化服装学院に入り直し1969年に卒業。同年に装苑賞と遠藤賞を受賞しています。装苑賞は1956年に創設された賞で、現在では新人デザイナーの登竜門とも呼ばれています。 1972年には、株式会社Y'sを立ち上げます。ワイズというブランド設立にあたって山本の根底にあった哲学は、「モードというモノで、モードを否定するという感覚」。そして、「男性の服を女性が着るということ」、時代に流されない価値観を持つ、自立した女性たちに対する服作りです。彼は「幼い頃からずっと、女性を通して世の中を見続けてきました」、「女性が無理をしなければならない不条理な社会を構築した男たちは、みんな敵になったのです」と語っており、この女性観が原点になっているようです。また「母親が一番の"ファムファタル"(運命の女性)だった」とも語っており、母親の影響を強く受けていることを窺わせます。 デザイナー、山本耀司のパリコレクションデビューは、その大胆で斬新な手法から、コムデギャルソンの川久保玲と共に、世界中に衝撃をもって受け入れられました。服作りについて彼自身は、こんな興味深いコメントも残しています。それは「服は前からではなく、後ろ側から作っていくものです」というもので、後ろ側こそが服を支える上で重要な部分であり、そこがしっかりできていないと、前側も成り立たないのだ、と説明しています。また、服を作る場合には、着心地、着た時のシルエット、動いた時の追従性、服がなびいた時のシルエットなど、服が直面するであろう様々なシーンを想定して手掛けることが大切で、そのための探求を妥協することはありません。高度なカッティングや縫製技術を駆使することで、「布の魔術師」と呼ばれるまでになりました。 そういった飽くなき探求心によって成し遂げてきた業績から、ギャルソンの川久保玲同様、山本耀司も多くの賞を受賞しています。先に挙げた装苑賞、遠藤賞のみならず、毎日ファッション大賞は2回受賞しているほか、2004年には日本国紫綬褒章も受章。2006年にはロンドンに本部を置く美術芸術学会「ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ」から「ロイヤル・デザイナー・フォー・インダストリー」も授かっています。さらにフランスからは、1994年にフランス芸術文化勲章「シュバリエ」、2005年に「オフィシエ」、2011年には民間人対象の勲章の最高位「コマンドゥール」まで受賞していますから、その功績がいかに大きいもので、世界中で認められているかがわかります。 また、山本のユニークな点は、音楽活動にもあります。デザイナーとして世界デビューも果たし、いよいよ世界的なデザイナーと騒がれ、「ヨウジヤマモト」が一人の人間ではなく商品のように扱われ始めたことに対して、自己のアイデンティティの消失を恐れて、音楽活動を始めたのだと言います。1987年にYMO(イエローマジックオーケストラ)の高橋幸宏と自身のショーのためのサントラ盤を製作したのを皮切りに、ムーンライダースのボーカル、鈴木慶一とコラボレーションしたり、自身も作詞するなど、幅広い活動を展開しています。 「一着の服装をするということは、社会に対する自分の意識を表現すること」 「消費者の選択基準はカワイイかカワイくないか、好きか嫌いかだけになってきた。ファッションは本来、いかに個性的で、自分自身であるかという、いわば自己表現の精神活動に利用するもの。でも、みなが同じ物を持つことになってしまう」 などと語っている山本耀司。これからも、自己の表現のための創作活動が続けられていくことでしょう。
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