イッセイミヤケの歴史

日本を代表するブランドイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)は、三宅一生によって設立されました。三宅一生は広島県広島市に、1938年に生まれます。

1945年、広島県への原爆投下の際、三宅一生は7歳にして母親と共に被爆しました。母は原爆の後遺症である放射能障害のため3年も経たないうちに亡くなっており、破壊ではなく、創造による美しさや喜びを考えた結果、衣服のデザインの道にたどり着いたと言います。

高校卒業後は上京して、多摩美術大学に入学。在学中から、第10回、第11回の装苑賞を連続して受賞するなど、頭角を現していました。

その後パリに渡り、洋裁組合学校で学びます。日本に帰国し、1970年代に三宅デザイン事務所を設立し、翌年にはアメリカ、ニューヨークのデパートに「イッセイミヤケ」のコーナーを作りました。

1971年にはニューヨーク、1973年にはパリにおいてコレクションを発表。一枚の布、という考え方を貫いた服作りを行ってきました。

1988年にはプリーツへの取り組みをスタート、5年後の93年に「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ)」を展開。プリーツの生地を裁断して仕立てる技法を行わず、服の形を先に縫製してからプリーツ加工を行うことで、イッセイミヤケ特有のキレイなシルエットを作ることに成功しました。これまで約400万枚が世界中で愛用されていると言われています。

世界で高い評価を誇る三宅一生は、1993年に、フランスレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、イギリスロイヤル・カレッジ・オブ・アート名誉博士号を受勲し、1999年には「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」のうちの一人に選出。

2005年に「第17回高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)」2006年に「第22回京都賞思想・芸術部門」など、数々の賞を受けています。イッセイミヤケブランドは、2000年より滝沢直己がデザイナーを引き継ぎ、2007年に退任。

同年より藤原大がクリエイティブディレクターに就任しています。2011年にはウィメンズ部門の新デザイナーに、宮前義之が、2013年にはメンズ向けの「イッセイ ミヤケ メン(ISSEY MIYAKE MEN)」の新デザイナーに高橋悠介を迎え入れています。

現在、イッセイミヤケブランドには、
「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE) (women/men)」
「ハート(HaaT)」
「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」
「オム プリッセ イッセイ ミヤケ(HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE)」
「バオ バオ イッセイ ミヤケ(BAO BAO ISSEY MIYAKE)」
「ミー イッセイ ミヤケ(me ISSEY MIYAKE)」
などが展開されており、A-net Inc.のというグループ会社を入れると、
「ZUCCa(ZUCCa)」
「Plantation(プランテーション)」
「TSUMORI CHISATO(ツモリチサト)」
「Ne-net(ネ・ネット)」
「mercibeaucoup,(メルシーボークー,)」
「FINAL HOME(ファイナルホーム)」
「タクタク(tac:tac)」
など、馴染み深いブランド名が並びます。日本の歴史と共に歩んで来たイッセイミヤケの動向は、これからも見逃せません。

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