ブランド設立まで

ジルサンダー(Jil・Sander,本名ハイデリー・イリーネ・サンダー)は1943年、ドイツのハンブルクで生まれました。ハンブルクのクレフェスト・スクール・オブ・テキスタイル専門学校を卒業後、テキスタイル・エンジニアとして働きます。 その後、渡米しカリフォルニア大学にて2年間留学し、学生生活を送りました。留学後はそのままアメリカに残り、女性用ファッション誌のファッション・ジャーナリストとして活躍します。 ジャーナリストとしての地位を築いた1965年ドイツに帰国し、1968年には生まれ故郷のハンブルクにブティックを開設し、会社を立ち上げました。当初はソニア・リキエル(SONIA・RYKIEL)の服を中心に販売しており、自らデザインした服は、わずかばかり売るのみでした。

初のコレクション発表

1973年、初めての「ジルサンダーコレクション」を発表し、パリプレタポルテ・コレクションに進出しますが、評価は得られず、1980年にパリから撤退します。その後、活動の拠点をミラノへと移し、1987年にはミラノ・コレクションに参加しました。 華やかで女性らしさを強調するドレスやワンピースに反発するかのような、機能的でエレガントな彼女のファッションは、ドイツのキャリアウーマンを中心に人気を博し、ジルサンダー社は1989年、ドイツのフランクフルト市場において上場を果たします。これにより海外への事業拡大を可能にしました。 また、90年代には女性の社会進出が本格化したことにより、スタイリッシュで繊細なファッションが好まれるようになったため、ジルサンダーの名は世界に知られることとなります。 1997年にはメンズラインもスタートします。彼女の感性は現代女性のニーズとマッチし、「フランクフルトのアルマーニ」と称されました。プーマ(PUMA)とコラボレートしたスニーカーも発表するなど、彼女のブランドは絶頂期を迎えます。

プラダによる買収

1999年、プラダ(PRADA)がジルサンダー社の株の75%を取得し、買収します。 しかしながら素材のコスト削減、シルエットの見直しなど、プラダとジルサンダー社で意見が対立し、2000年、ジルサンダーはデザイナーを引退することを発表しました。引退前のコレクションは、これまでの彼女のデザインとは大きく異なる華やかなものが多く発表され、大きな話題となりました。 2003年には再びデザイナーとして復帰しますが、2004年には再度プラダとの不仲を理由に辞任します。2006年、投資ファンド会社のChange Capital Partners (通称CCP)がジルサンダー社を買収、プラダの手を離れます。 2012年、ジルサンダーはクリエイティブ・ディレクターに再度復帰するも、2014年に退任しました。 彼女の名前をそのまま使ったブランド、ジルサンダーは今もなお上質な素材と、機能的なデザインで、キャリアウーマンを中心に支持されています。

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