エディ・スリマンの就任

エディ・スリマン(Hedi Slimane)とは、2001-2002 A/Wシーズンから2007-2008A/Wシーズンまでクリスチャン・ディオールのメンズラインとして設立されたディオールオムの初代クリエイティブディレクターとして就任し、一躍ディオールオムを世界のトップブランドにまで押し上げたデザイナーです。 ディオールオム退任後はフォトグラファーとしての活動を中心に活動をしていました。 そして2012年、約5年もの沈黙を経て、エディのイヴ・サンローラン就任が発表され、エディが再びファッションの世界へ帰ってきました。実はエディがイヴ・サンローランに就任するのはこれが初めてではありません。 1997年からイヴ・サンローランのプレタポルテのメンズライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ オム」にてアーティスティックディレクターとして活躍し、1998年にはジーンズラインの「サンローラン」をも手掛け、2000年までの約3年間在籍していた経歴がありました。 ファッションの世界へ、イヴ・サンローランへ帰ってきたエディは、今回はメンズのみならず、ウィメンズ及び、アクセサリー、キャンペーンビジュアル、ストアデザインなど全てを統括するクリエイティブディレクターとして就任しました。 そしてエディは就任当初から「サンローラン・リフォームプロジェクト」と題し、ブランドの刷新、改革を測ったのです。

エディによるブランド改革

まず初めの改革は、イヴ・サンローランの代名詞、YvesSaintLaurentを斜体で表現したカサンドラを廃止し、名称の「イヴ」をも外し、「サンローラン」へと名称を変え、ロゴもシンプルなヘルベチカフォントを採用しました。 それはプレスを怒らせることとなり話題となりましたが、これはかつてのブランドを過去へと押しやったのではなく、実は創設者のムッシュ イヴ・サンローランが1966年に「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」を創設した時のブランドロゴと同じものであり、実はムッシュへの敬意を込めた、ブランド設立当初に立ち返る「原点回帰」だったのです。 次にエディが行ったことは、パリにあった本社から9,000km離れたLAにデザインスタジオを建て広告キャンペーンの見直しを計りました。 フォトグラファーであるエディ自らが広告キャンペーンの撮影をし、ほとんどがモノトーンでグラムロックな雰囲気であり、モデルは主に思い入れのあるミュージシャンたちで、これは「サンローラン ミュージックプロジェクト」と題され、大御所からルーキーまで様々なミュージシャンを起用し、新たな視点で音楽界をサポートしただけでなく、新たな試みとして話題を呼ぶことにも成功しました。 エディはストアデザインをも刷新しました。全てエディ監修の元、白と黒の大理石を多く使用し、鏡の様に反射する壁を取り入れ、モダンなインテリアを揃え、シンプルでありながらも高級感のあるストアを作り上げました。 また、ストアだけではなく、ウェブサイトをも刷新し、eコマースをスタートさせ、世界約30ヵ国からのオーダーを可能にし、時代に即した改革をも行いました。

エディの提案するスタイル

様々な改革を行いましたが、その中でも特に大きな変化を遂げたのは服、そしてハイファッションの概念でした。 エディがサンローランで提案したスタイルは、ディオールオム時代同様に「ロック」と「少年性」を徹底的に追及したコレクションで、パンク・モッズ・グランジ・ハードロック・ヒッピー・ロカビリー・ニューウェーブ・スカ・グラム…といった「ロック」と結びつくストリートカルチャーとラグジュアリーを融合させたコレクションたちは依然としてスーパータイトなシルエットな作品たちでした。 ストリートなにおいを感じさせるエディらしいアイテム達は一見サンローランというビッグメゾン、ハイファッションには相応しくないように思えるため、あまりにもエディ過ぎる、サンローランを全く別のブランドに変えてしまった、と否定的な意見を挙げる人も少なくはありませんでした。 しかし、実はエディの提案するスタイルの根底には「ロック」とは別に「ムッシュ・イヴ・サンローランへのオマージュ、リスペクト」が核としてあります。 スキニーパンツやライダースなど、エディの「ロック」をアイコンにしたアイテムばかりに目が行きがちですが、エディ就任後初のコレクションである2013SSのレディースコレクション、メンズ初コレクション2013-2014AWコレクション、メンズの最後のコレクションとなった2016-2017AWコレクションなど、重要なコレクションでのファーストルックは、全てムッシュの代表アイテムである「スモーキングジャケット」を使用しています。このことからもエディがいかにムッシュをリスペクトしていたか、いかにサンローランの伝統を大切にしていたかが分かるでしょう。 このように模倣することなく伝統を重んじながら自らのフィルターを通して新しい作品を生み出し続けたエディによるサンローランは、就任前からの売上を約1.5倍位へと押し上げ、売り上げが伸び悩むラグジュアリーブランド市場で記録に残る数字を叩き出し、ケリンググループの中でも1、2を争うブランドへと転身させました。

最後の改革

そして、エディは最後にも大きな改革を行いました。ムッシュが大切にしてきたオートクチュールのアトリエを復活させたのです。 フランス・パリのサンジェルマン・デ・プレ ユニヴェルシテ通り24番地に位置するルイ14世時代に建てられた荒廃した建物を、床や室内装飾、中央階段、幾何学的なフランス調の庭園などを3年かけて改装し、当時のフランスを再現させました。 そしてエディはそのクチュールサロンにて自身最後のコレクションとなる2016-2017AWレディースコレクションを発表し、サンローランを去ることになります。 ちなみにこのコレクションのファーストルックでもスモーキングジャケットを使用し、最後までムッシュへの敬意を示していました。 4年間にわたりエディが成し遂げてきた改革は、メゾンの歴史を大きく変えるもので非常に革新的でありましたが、ムッシュが長年に渡って大切にしてきたブランドのあり方を見直し、既製服が当たり前となった現在に相応しく、再構築するもので、その中にはサンローランという伝統への深い愛とリスペクトがありました。 ちなみにムッシュ・イヴ・サンローランも元はDiorのデザイナーをしていたこともあり、エディとムッシュ、この二人には非常にリンクするものがあり、エディはなるべくしてサンローランのデザイナーになったのでしょう。そしてエディによって再び輝きを取り戻したサンローランは、これからも注目を浴び続けていことでしょう。

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