シャネルの再建

シャネルの創業者であり、ブランドを牽引するアイコンでもあったココ・シャネルが亡くなってから、ブランドとしてのシャネルは不遇の低迷期を迎えます。 ココ亡き後、シャネルの経営を担ったのは、ジャック・ヴェルテメールという人物。ただ残念なことに、彼には経営に関する才覚がなく、ブランドにとって最も成長市場であったはずのアメリカですらも、看板商品である香水「No.5」が二流のイメージを持たれてしまうほどでした。 その現状に危機感を感じていたのが、息子であるアラン・ヴェルテメールです。 彼は25歳にして早々に跡を継ぎ、シャネル社の再建を図ります。まだなおシャネルの看板であった「No.5」のイメージ回復戦略を打ったほか、生前、ココが反対し続けていたプレタポルテ(高級既製服)事業にも乗り出します。 また、何人かの有能なキーパーソンが入社したのもこの頃でした。カール・ラガーフェルドの才能を見出してシャネルに呼び寄せた人物、キティ・ダレーソは、その代表と言ってもいいでしょう。 そして1983年、そのキティによって、当時クロエのデザイナーであったカール・ラガーフェルドが呼ばれます。 ココ・シャネルの後継者としてこの年からオートクチュールを、翌1984年からはプレタポルテも担当。 ヘッドデザイナーであると同時に、彼自身がブランドのアイコンとなり、広告塔としても存在感を発揮し、シャネルはその隆盛を取り戻すことになったのです。

完全復活と更なる拡大

また、同1984年、故ココ・シャネルに追悼の意を込めて、新作の香水「ココ」を発表。 1987年には時計部門を新設し、レディース用の腕時計「ル・タン シャネル」を初リリースしました。 さらに1990年には、レディース用腕時計「マドモアゼル」を発表、同年、パリのヴァンドーム広場にウォッチブティックもオープンしています。 そして1988年、アメリカファッションデザイナー委員会より、インターナショナルファッション特別賞を授与されました シャネルの拡大はその後も止まらず、1998年には、ナイロン素材を使ったカジュアルな旅行アイテムを提案するトラベルライン、2001年には、スノー・スパなどのためのスポーツラインを発表、さらに翌2002年にはサーフコレクションも発表し、そのフィールドを広げています。 そして現在でも、アラン・ヴェルテメールとジェラール・ヴェルテメールの兄弟がオーナー、カール・ラガーフェルドがクリエイティブディレクターという体制で、シャネルは世の女性たちを虜にし続けているのです。
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