コムデギャルソンの歴史 1980年代まで

コムデギャルソンとは

コムデギャルソン(COMME des GARÇONS)は、1969年にデザイナー川久保玲によって立ち上げられました。そして1975年には東京コレクションにもデビューを果たし、株式会社コムデギャルソンを設立。

1978年にはメンズラインであるコムデギャルソン・オム(COMME des GARÇONS HOMME)もスタートさせています。「COMME des GARÇONS」とはフランス語の直訳で「少年のように」を意味していますが、実は「少年の持つ冒険心」であるとも言われています。

ただ、ブランド名について川久保本人は、「この訳の意味にさほどの強い思いはなく、他と差別化する程度のこと」だと語っています。

「カラス族」の誕生

コムデギャルソンのデザインには、社会に流されない自立した女性像が落とし込まれており、従来のようなフェミニンな要素がなく、黒を基調としたモノトーンやルーズなシルエットで、孤高の女性をイメージしたものでした。

これが一部の熱烈な支持を得ることとなり、1980年代には、おかっぱ頭に黒い服の女性たちが街中を闊歩する「カラス族」という現象を生み出しました。

よく「アンチモード」という言葉で語られるギャルソンですが、単に「アンチ=反対する」というよりは、「流されない」「独自性」という意味合いが強いのだと、川久保本人は語っています。

パリコレクションデビュー

日本国内で成功をおさめた後、川久保は同じデザイナーである山本耀司(ヨウジヤマモト)とパリに渡ります。そして1981年にはパリのプレタポルテコレクションにデビュー。

このパリで披露された最初のギャルソンのコレクションは、当時のファッション業界にとって大変センセーショナルなものでした。

煌びやかなデザインが主流だった当時、それまであまり使われることのなかった黒という色をメインに据えた作品や、穴のあいたようなセーターを発表したことで、賛否両論を巻き起こします。

賛否両論であった「黒の衝撃」

アパレルの既成概念に挑んだ斬新な手法は「黒の衝撃」などと批判を浴びることもありましたが、このアヴァンギャルドかつクラシックなスタイルは、少しずつ若いクリエイター、デザイナーに受け入れられていくようになります。

「ぼろルック」の浸透

また、パリに渡った同年、ローブ・ド・シャンブル・コムデギャルソン(robe de chambre COMME des GARÇONS)、トリコ・コムデギャルソン(trict COMME des GARÇONS)も新たにスタートさせています。

さらに翌年の1982年、パリの法人「COMME des GARÇONS S.A.S.」を設立し、パリ店をオープン。1984年にはコムデギャルソン・オム・プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)が始まりました。

このようにして、黒を主体とする「ぼろルック」と呼ばれる独自のスタイルを築き上げ、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケらと共に世界から注目されるようになります。

そして1980年代の日本でのDCブランド(デザイナーズ&キャラクターズブランド)ブームを牽引し、ブランドの地位を確立していったのです。

様々なライン

その後も続々と世界展開、新ブランド展開をみせたコムデギャルソン。1986年にはアメリカ、ニューヨークにも法人「COMME des GARÇONS S.A.S.」を設立。

翌1987年、新たにビジネスラインとしてコムデギャルソン・オム・ドゥ(COMME des GARÇONS HOMME DEUX)や、黒をメインとしたライン、コムデギャルソン・ノアール(COMME des GARÇONS noir)もスタート。

さらには1988年になると、フランス生産のシャツだけに特化したコムデギャルソン・シャツ(COMME des GARÇONS SHIRT)も開始。とどまるところを知らない精力的な事業拡大を繰り広げたのです。

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