コムデギャルソンの考える赤

1980年代、パリで世界デビューを果たし「黒の衝撃」と呼ばれるセンセーションを巻き起こしたコムデギャルソン。 以来、1990年代のモード業界で黒が一般的に使われるようになり、黒の持つ「色彩の否定・反抗」の意味合いが薄れていったため、今度は一転して、赤などのカラフルな色彩を打ち出し、他ブランドと一線を画すコレクションを展開していきます。 これは赤を「唯一の色彩と他色の否定」として捉えたものでした。

ジュンヤワタナベ・コムデギャルソンのスタート

1992年には、社内デザイナーであった渡辺淳弥による新ブランドジュンヤワタナベ・コムデギャルソン(JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS)がスタート。 翌1993年にコムデギャルソン・コムデギャルソン(COMME des GARÇONS COMME des GARÇONS)、さらに翌年にはパリでのフレグランス事業の拠点、COMME des GARÇONS PARFUM S.A.S.も設立しました。

1995年 コムデギャルソン・オム コレクション

1995年のコムデギャルソン・オムのコレクションでは、坊主頭でストライプ柄のパジャマのような服を着たモデルが登場したのですが、これがアウシュビッツの大虐殺を連想させるとし、メディアの物議をかもしましたが、川久保本人にはそのつもりはなく、誤解であると語っています。 また、1997年には「ボディミーツドレス ドレスミーツボディ」というテーマのもと、こぶがついたようなドレス「こぶドレス」を発表。 ストレッチ生地に羽毛を詰めてこぶ状にし、そのこぶがまるで体の一部であるかのような斬新なデザインを披露し、話題をさらいました。 これが、ポストモダンダンスを切り開いたアメリカの振付師マース・カニンガムの目にとまり、彼の作品「シナリオ」の衣装と美術を手掛けることとなりました。

様々なコラボレーション

また、ブランドとしてのコラボレーション企画も積極的に展開、1997年にはトラベルケースの名門グローブトロッターと、その後もフレッドペリー、アズティン・アライアなどと続々とコラボレーションを果たします。 2001年には、ファッション分野での功績が認められ、芸術選奨を受賞。これは、文化庁が芸術をいくつかの部門に分け、それぞれの部門で活躍が認められた人物に贈るもので、草間彌生や音楽家の坂本龍一、映画監督として北野武なども受賞しています。 また、同年、コムデギャルソン・ジュンヤワタナベ・マンがスタート。メンズカジュアルの新提案をし、モンクレールやノースフェイス、マッキントッシュ、リーバイスなど著名なカジュアルブランドとのダブルネームでも話題を呼びました。

プレイ・コムデギャルソンの設立

2002年の最も注目すべきは、プレイ・コムデギャルソン(PLAY COMME des GARÇONS)の設立と言えるでしょう。 それまでアイコンがなかったギャルソンで初めて、「ハートマークに2つの目」という特徴的なロゴマークが登場。親しみやすいギャルソンのラインとして人気を博しました。
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