コムデギャルソンの歴史 2000年初頭~現在

続々と店舗展開するブランド

2002年までに、国内では京都店や福岡店をオープンした他、ミラノのセレクトショップ「ディエチ・コルソ・コモ」(10 Corso Como)と事業提携をし、南青山に「ディエチ・コルソ・コモ コムデギャルソン」を出店。

2003年には大阪店をオープンするなど、続々と店舗展開してきたコムデギャルソン。

同じく2003年には、渡辺淳弥によるレディースコレクション、コムデギャルソン・ジュンヤワタナベ・マン・ピンク(JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MAN PINK)を設立しました。

「ドーバーストリートマーケット」の誕生

2004年になると、ロンドンにある高級住宅街メイフェアのドーバーストリートにセレクトショップをオープンします。

「ドーバーストリートマーケット」と名付けられたこのセレクトショップでは、ジバンシィやランバンなどのビッグメゾンの他、若手クリエーターのメアリー・カトランズ、そして日本からはサカイ(sacai)、トーガ(TOGA)、アンダーカバー(UNDERCOVER)などがピックアップされた他、剥製などのオブジェに至るまで、センスの高いセレクトとアーティスティックな空間で注目を集めました。

様々な新ラインと出店

2005年には、社内デザイナーとして活躍していた栗原タオによる、タオ・コムデギャルソン(TAO COMME des GARÇONS)を設立、競泳水着のスピード社(SPEEDO)とコラボレーションしたスピード・コムデギャルソン(SPEEDO COMME des GARÇONS)や、ジュンヤワタナべ・マンのセカンドライン「eYe COMME des GARÇONS JUNYA WATANABE MAN」も開始。

2006年にはジュエリーの「コムデギャルソン・パール」(COMME des GARÇONS PEARL)、2007年には丸龍文人による「ガンリュウ」(GANRYUU)もスタートします。海外出店としては2007年に香港店、2008年には北京店、ロシア店をオープンしました。

ルイ・ヴィトンとのコラボレーションショップ「ルイヴィトン・アット・コムデギャルソン」が東京の南青山にオープンしたのは2008年4月。

翌2009年にはビートルズとのコラボレーション「ザ・ビートルズ・コムデギャルソン」を発表するなど、コムデギャルソンは精力的な展開を見せ続けます。

同じ2009年に始まった期間限定ラインのブラック・コムデギャルソンも、予想を上回る人気を受け、継続ブランドとなったほどでした。

さらに2009年には、コムデギャルソンの視点で発信するアートスペース「Six」(シックス)を大阪にオープンします。この際のエキシビジョンでは「草間彌生 増殖する部屋」展が開催され、川久保玲がデザインした空間に草間彌生が世界観を表現する、という世紀のコラボレーションが実現しました。

「スカート男子」

また、この年のオム・プリュスの春夏コレクション(2009SS)にメンズのスカートが登場したことで、他ブランドでもスカートが続々とリリースされ、「スカート男子」というトレンドまで生み出しました。

ブランド初のWEBサイト

2010年には、ブランド初となる公式のWEBサイトが登場します。1969年の創業以来、一切ネット活動を見せなかったコムデギャルソンでしたが、ブランド創設40年にして初めて公開されたことで、同社のウェブプロモーションへの注目が集まりました。

内容としては非常にメッセージ性があり、アートを強く感じさせるもので、閲覧した一部の人々からは「難解すぎる」との意見も出ているほどです。

2011年になると、栗原たおによるコレクション、タオ・コムデギャルソンが終了します。これにより、栗原は兼任していたトリコ・コムデギャルソンのデザインに専念することになりました。

「ドーバーストリートマーケットギンザ」

さらに翌2012年には、ドーバーストリートマーケット・ギンザ・コムデギャルソンを東京の銀座、ギンザコマツ西館にオープン。ルイヴィトンやバレンシアガなどのビッグメゾンから、シュプリームやアベイシングエイプなどストリートブランドに至るまで幅広くセレクトされたショップで、ファッション業界の話題をさらっています。

「世界で最も影響力のあるデザイナーランキング」では、常に上位に名前が挙がる川久保玲。

彼女は、「会社を経営する事もデザイン、その中の表現方法の一つとして服があり、ショップがあると考えたい」と自身も語っているように、デザインやアートとしてだけでなく、ビジネスとしてのファッションも常に考えており、渡辺淳弥や栗原たお、丸龍文人などのデザイナーたちと繰り広げる今後のコムデギャルソンも、目が離せないものと言ってよいでしょう。

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