ゴローさんの幼少期

ゴローズの創始者にして、デザイナー兼オーナーである高橋吾郎氏は、日本がまた戦時中であった1939年(昭和14年)の6月29日、この世に生を得ました。終戦後間もない小学生時代は、その辺に転がる壊れた乳母車を拾って来ては幌馬車に見立て、インディアンごっこをしていたというから、ゴローさんのインディアンへのあこがれは、既にこの頃から持っていたのでしょう。 また、彼は子供の頃から何かを創り出すのが好きで、作っては失敗し、を繰り返すことで、さらに腕が良くなること、物の良し悪しを知ることに喜びを覚え、ウェスタンベルトやガンベルト、バッグなど、様々な物を作っていました。

ネイティブインディアンとの交流

その後、彼は幾度となく渡米を繰り返して、現地のネイティブインディアンたちと交流を深めていくこととなります。まずはスウェットロッジセレモニーを受けました。これは、ネイティブインディアンの間で伝統的に行われてきた儀式のひとつで、スウェットロッジ(発汗小屋、ラコタ語でイニーピー)の中で、薬草の香気を含んだ蒸気によって大量に汗をかき、魂(スピリット)を浄化(デトックス)して、さまざまな業(カルマ)を取り除くことで原点回帰し、自己を再生させる儀式と言われています。 さらにその2年後にはサンダンスにも参加。サンダンスは、初夏から夏至のシーズンに4日間に渡って行われる儀式で、大自然の全ての源「大いなる神秘」(宇宙の真理)との対話を重要視するネイティブインディアンにとって、最大の儀式と言われています。4日間、食べ物も水も口にすることを許されず、周囲の呪い師たちが儀式の歌を歌い、ドラムを打ち鳴らす中、ひたすら大地を踏みならし「太陽の踊り」を踊り続けます。 そしてそのラストに行われるのが「ピアッシングの苦行」。鷲(イーグル)の爪を肉体に通し、それが千切れるまで踊り続けるという大変に苛烈なもので、その厳しさゆえに、白人たちには「若い戦士が勇猛さをアピールする通過儀礼だ」と解釈されることもありました。ですが本来は、かけがえのない肉体や苦痛を大精霊に捧げることで、部族の発展と安全を祈る、という意味合いを持っています。

イエローイーグルの誇り

その結果、数々の苦行を乗り越えたゴローさんは「イエローイーグル」というインディアンネームを授かりました。「イエロー」とは太陽つまり東を意味し、「東から来た鷲」という意味になります。鷲(イーグル)は空高く飛ぶことから、インディアンの間では最も神に近い存在とされていることを考えると、最高の名前を授かったと言っても過言ではないでしょう。彼自身も、ネイティブインディアンと魂を通わせて手にしたインディアンネームを、大変誇りに思っていたそうです。 フェザー、イーグル、メディスンホイール、ナジョーネなどゴローズの数々のアイテムたちは全て、こういった高橋吾郎氏とネイティンブインディアンとの深い結びつきの中から生まれた物なのです。  

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