青山の小さなショップから
ゴローズ(goro's)は、日本のインディアンジュエリーの草分け的存在である高橋吾郎氏(以下ゴローさん)によって、1971年に設立されたシルバーやレザーアイテムのブランドです。彼が高校時代に横須賀に駐留していたアメリカ兵から革の彫刻を教わり、さらに独学で勉強して27歳の時に青山に小さなショップを開いたのが始まりでした。
その後、アメリカに渡った際に、自作のレザーバッグがきっかけとなって現地の男と親交をあたため、インディオの手ほどきを受けてシルバーの彫金を習得。その際に、日本人として初めてインディアンネームを授かったというのは、有名な話です。この渡米はゴローさんにとって、本物のインディアンジュエリーに触れる機会となり、彼のシルバーアクセサリー人生を大きく左右するできごとであったと言えます。
原宿のゴローズへ
貴重な経験をしたアメリカからの帰国後、1971年にゴローさんはショップを青山から原宿に移しました。これがまさに、移り変わりが激しい表参道地区において、40年以上も高い人気を誇り続けるショップ、「原宿のゴローズ」のスタートでした。移転してからは、持ち帰った彫金の技術に加え、彼自身の独創的な感性によって、さらに洗練されたアイテムたちを生み出し続け人気を博していましたが、1987年にアトリエで発生した火災によって、全身のおよそ40%にも及ぶ大やけどを負ってしまいます。幸い一命はとりとめましたが、職人の生命線とも言える利き腕、右手を激しく損傷することとなりました。
逆境を越えて
普通であれば、そこで挫折しても不思議ではない負傷でしたが、ゴローさんは不屈の精神で、不自由な右手にハンマーを縛りつけて創作活動を再開します。やがて1990年代の前半には、制作が追いつかないほどオーダーが殺到する人気の高まりを見せ、日本のシルバーアクセサリー業界で知らない者はいないほど不動の地位を築きあげました。その人気のほどは、当時、ゴローズの人気アイテムを身につけて渋谷センター街を歩いていると強奪されてしまう「ゴローズ狩り」と呼ばれる嘆かわしい行為が横行したことでもうかがえます。
残念ながら創立者である高橋吾郎氏は2013年に亡くなりましたが、彼が生み出した様々な造形や作品は、彼の感性、スピリット、人生そのものであり、ショップの前には今もなお行列が途切れることのない、日本のトップシルバーブランドとして君臨し続けています。