漫画家 竹宮惠子

竹宮惠子は1950年2月、徳島で生まれました。1970年、「森の子トール」で漫画家デビューを果たし、1974年に発表した「ファラオの墓」がヒット、一躍人気漫画家となります。 1976年に発表された「風と木の詩」では、少年同士の同性愛を美しく耽美なタッチで描き、漫画界に大きな衝撃を与え、1977年には月刊マンガ少年にて、「地球へ・・・」の連載を開始します。当時、少女漫画家が少年漫画誌に連載することは非常に画期的な出来事でした。 1979年、「地球へ・・・」で第九回星雲賞のコミック部門賞に選ばれ、翌1980年には「地球へ・・・」「風と木の詩」で小学館漫画賞を受賞します。同じ年には「地球へ・・・」は東映アニメによってアニメ映画化され、竹宮惠子は名実共に日本のトップ漫画家となります。

「エルメスへの道」発表の裏側

1997年、竹宮惠子はエルメス(HERMES)の社史を描いた漫画、「エルメスへの道」を発表します。フランス語で書かれている社史すら存在していないエルメスが、創業160周年を迎え、自らの歴史を語るのに目をつけたのが日本の漫画であることは、大きな話題となりました。 エルメス5代目社長のジャン・ルイ・デュマ・エルメスは、年に数回日本に訪れる度に日本文化に感銘を受けてきました。彼は160年にわたるエルメスの歴史をテーマにした出版物を刊行したい、と思いたった際に、日本文化のひとつである漫画を思いつきます。 エルメスが出版社である中央公論社に依頼した際に「馬に乗れる人であり、馬を描ける人である」ことを書き手の選定条件として出し、その条件を満たしていたのが竹宮惠子でした。 竹宮惠子はエルメスにはあまり興味はありませんでしたが、原案を見た際に、エルメスの歴史は職人の歴史であると感じ、自分と通じるところがあると思いい、依頼を承諾したのでした。 「エルメスへの道」では、1801年に創業者であるティエリ・エルメスが生まれるところから始まり、初代からの社長の歴史やエルメスの代名詞、馬車マークの由来、正方形のスカーフ、カレ・エルメスの誕生した経緯などが描かれています。 竹宮惠子は後書きの中で、資料集めから始まりエルメス社への質問事項、エルメス本社からのチェックや手直しなど、今までのどの仕事よりも手数が多く大変な仕事だった、と語っています。 彼女は、また「終わった時にはもうこれ以上はできない、と思いるくらい大変だった。」とも語っています。エルメスの妥協を許さない物作りへの姿勢は、商品のみならず社史作りにおいても変わりませんでした。

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