始まりはバスケットシューズ

オニツカタイガー(アシックス)の歴史は、1949年3月に兵庫県の靴の卸問屋、鬼塚商会から始まります。創始者の鬼塚喜八郎が、スポーツをするための靴作りを目標に、業者へ見習い修行に通い、靴作りのノウハウを習得していきました。 同年9月に鬼塚株式会社を設立し、兵庫県の高校と共同でバスケットシューズの開発を始めます。これがあとに、日本で初めての国産バスケットシューズとなりました。 この鬼塚式バスケットシューズを売り込むため、全国各地の大会などへ営業に回ります。その時に、選手やコーチの生の声を取り入れて改良を重ねていき、その知名度を上げていきました。

オニツカタイガー誕生

また、当時の工場長が洒落で靴裏に虎マークを入れたことを、鬼塚喜八郎が気に入り、靴ブランド名を虎印と名付けます。しかし、すでに商標権が他社にあったので、創業者の鬼塚を取ってONITSUKA TIGERとなりました。 オニツカタイガーが開発したランニングシューズは、1956年開催のメルボルンオリンピックで、日本の選手たちのトレーニングシューズとして使用されます。 そして、1961年には、毎日マラソンに出場するアベベ・ビキラ(Abebe Bikila)を、鬼塚喜八郎は滞在先のホテルまで訪問し、オニツカタイガーの靴を履いて出場してもらうよう交渉をしました。 アベベ・ビキラは、オニツカタイガーの靴を履いたその大会で優勝します。世界で活躍するスポーツ選手がきっかけとなり、オニツカタイガーは世界中で高く評価されるようになります。 ナイキ(NIKE)の前身のブルーリボンスポーツ(BRS)は、1966年頃にアメリカでオニツカスポーツの輸入を始め、高い売り上げを得ました。 また、1964年10月には、東京オリンピックでオニツカタイガーを履いた日本選手が合計46個のメダルを獲得します。日本選手の活躍によりオニツカタイガーは、その名をさらに世界に広めました。

経営危機

1964年にオニツカタイガーは株式上場しますが、まもなく経営危機に陥ります。しかし協力企業各社に手形の支払を遅らせてもらい、その危機を乗り越えました。あとに、この恩義は一生忘れないと鬼塚喜八郎は語っています。 鬼塚喜八郎は「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉に影響を受け、オニツカタイガー(アシックス)の経営理念は、「スポーツを通じて青少年の健全な育成」です。その言葉のとおり、オニツカタイガーは戦後の日本を、スポーツを通して復興させていきました。 オニツカタイガー(アシックス)の経営は「オニツカ式キリモリ商法」と呼ばれ、手広く経営展開していくのではなく、市場でまだ手がつけられていない隙間を見つけ、その一点に集中し掘り下げていくことだそうです。 オニツカタイガーは、スポーツシューズに特化したため、高い技術に評価が集まり、その名を世界に知らしめることになりました。
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